時機に後れて提出したブログ

パンダの死体はよみがえるがよみがえる

 前々回前回と引用した文章ですが、

 寺田寅彦(小宮豊隆編)「寺田寅彦随筆集 第二巻」より

 少なくともわれわれ素人がベートーヴェンの曲を味わうと類した程度に、相対性原理を味わうことはだれにも不可能ではなく、またそういう程度に味わう事がそれほど悪いことでもないと思う。 P74「相対性原理側面観」


 かつてこんなことを書いていたのを思い出しました。

 以前の記事より

 「専門家」と「普通の読者」の関係はいかにあるべきか、普通の読者が学ぶというのはどういうことであるべきか、などなど思いはめぐりそうです。


 これは、遠藤秀紀の二つの本「解剖男」「パンダの死体はよみがえる」から、私が好き勝手に引用して好き勝手に書いた感想です。関連するところだけまた引用させてもらうと、

 遠藤秀紀「解剖男」より

 いずれにしても、せっかくのキッチンで砂糖の在り処を暗記するほどつまらないことはない。普通の読者にとっては、そんなことをするよりも、厨房から運ばれてくる料理を楽しむ方が先決なのだ。 P109「第三章 硬い遺体」

 と、される一方で、

 遠藤秀紀「パンダの死体はよみがえる」より

専門家が遣う用語など大事ではないのだが、ここでは三つだけ筋肉を指す名称を遣わせていただきたい。 P75「第二章 パンダの指は語る」

 といって、漢字5、6字くらいの筋肉の名前がずらずらと出てきた、ということでした。

 期せずして、と言うわけでもないですが、まあ期せずして「専門家」と「普通の読者」というのを並べてみて、思いをめぐらせていたのでした。そんなことを書いてみて、後になってから「普通の読者」というのは実は結構重要な考え方なんじゃないかなどと思ったりもしていました。そんなことを思ったりもしていたということを、冒頭のベートーヴェンや相対性原理を味わう素人の話で思い出したというか、「普通の読者」と「素人」に共通するものを感じたというか、まあそれだけのことです。それらの中身が具体的にどうこうということには、やはりならないのですが。


 ということで、思わぬものがよみがえってきてよかったということで、今回はこのくらいにしておこうと思います。


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音楽ラブリー

 ここのところ、音楽知らないのにベートーベンとかベートーヴェンとかいった言葉の入ったタイトルを行きがかり上つけてしまったのですが、音楽知らないということで一つ思い出したものを引用したいと思います。

 岡潔「春宵十話」より

 音楽を聞き始めたのは実は連句を作ってみようと思いたったときで、寺田寅彦先生が西洋音楽になぞらえて連句を説明しているのを読み、西洋音楽がわからなければ連句もわからないと思ったわけである。それで伊東の中谷宇吉郎さんの家でレコードを聞くのから始めたが、好都合なことに中谷さんも音楽のことを知らず、奥さんの解説入りでこれがアダージオだな、これがスケルツォだなとうなずき合いながら耳を傾けたものだ。 P170「音楽のこと」

 やだ、なんかラブリー。もちろん、「知らない」にもいろいろレベルがあるので、私の「知らない」と一緒にするのはおこがましいのですが、それにしてもなんだかほっとします。


 しかし上記引用によると「寺田寅彦先生」は西洋音楽に明るかったようですが、そうすると前回「われわれ素人がベートーヴェンの曲を味わうと類した程度に、相対性原理を味わう」(「寺田寅彦随筆集 第二巻」P74)という文を引用したのですが、ここでの「素人」がどういうレベルを想定しているのか不安にもなります。まあどういうレベルを想定されてもこういうレベルでしかないので、大切なのはラブリーなハートなのだということにしてがんばろうと思います。


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ベートーヴェンを側面から観る

承前) 音楽室のベートーヴェンの肖像画は、どこから見てもこちらを見ていたものだったが。

ベートーヴェン側面観

 中山信弘「マルチメディアと著作権」より

たとえワットが存在しなくとも人類は早晩蒸気機関を手にしたであろうし、ショックレーが存在しなくとも誰かがトランジスタを発明したであろう。それに対して、著作物は個性的なものであるので、ベートーヴェンが存在しなかったならば、われわれは永久に交響曲第九番を耳にすることはできないであろう。 P42「第1章 著作権とは」


 前回も引用した部分です。ベートーヴェンつながりで、以前も引用したことのある寺田寅彦の随筆「相対性原理側面観」から、次の文章を引用してみたいと思います。

 寺田寅彦(小宮豊隆編)「寺田寅彦随筆集 第二巻」より

 少なくともわれわれ素人がベートーヴェンの曲を味わうと類した程度に、相対性原理を味わうことはだれにも不可能ではなく、またそういう程度に味わう事がそれほど悪いことでもないと思う。 P74「相対性原理側面観」

 こういうときはなぜかよくベートーヴェンが出てくるということも興味深いですが。

 ベートーヴェンつながりというだけでも別にいいのですが、一応続きがありまして、これに続く文章が冒頭の中山先生の文章と比較してみて、なんだか興味深く思えたのでした。

 寺田寅彦(小宮豊隆編)「寺田寅彦随筆集 第二巻」より

 この原理を物理学上の一原理として見た時の「妙趣」あるいは「価値」が主としてどこにあるか。それが数式にあるか、考えの運び方にあるか。これもほとんど問題にならないほど明らかであるように私は思う。数式は彼の考えを進めるものに使われた必要な道具であった。その道具を彼は遠慮なく昔の数学者や友人のところから借りて来た。これはまさに人の知るとおりである。その道具の使い方がどこまで成効しているかはおそらく未決の問題ではあるまいか。それを決定するのは専門家の仕事である、そしてそれは必ずしも第二のアインシュタインを要しない仕事である。しかし一人のアインシュタインを必要とした仕事の中核真髄は、この道具を必要とするような羽目に陥るような思考の道筋に探りあてた事、それからどうしてもこの道具を必要とするという事を看破した事である。これだけの功績はどう考えても否む事はできないと思う。たとえ彼の理論の運命が今後どうあろうとも、これだけは確かな事である。そこに彼の頭脳の偉大さを認めぬわけには行くまいと思う。 P74


 ワットがいなくても蒸気機関はできただろうが、ベートーヴェンがいなければ第九はなかった。そして、アインシュタインがいなければ相対性原理は知られなかったのであれば、蒸気機関と第九と相対性原理はどういう関係になるのだろうか、などと思ったりしました。文系と理系とか、基礎と応用とか、なんかいろいろ比較の軸はありそうではあります。知的営為もいろいろということなんでしょう。人生いろいろなだけに。
 まあ蒸気機関は特許法の世界で第九は著作権の世界ということになるのでしょうが、相対性原理に著作権なり特許権なりは認められてないのでしょうし、そこはそれぞれの法律にそれなりの理屈があるでしょうから、そのへんの議論から類推して、蒸気機関と第九と相対性原理に思いをめぐらせるということはできるのかもしれません。


 といったところで、言った先から、思いもめぐらなくなってきたので、今回はこのくらいにしておきます。


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ベートーベン・ショックレー・ワット

 タイトルは「ゲーデル、エッシャー、バッハ」のような趣旨でつけました。で、タイトルの三人が何なのかというと、ここのところよく引き合いに出させてもらっている中山信弘「マルチメディアと著作権」の中の印象的な一節で出てくる三人です。

 三人が出てくるのは、著作権と特許権の比較というような文脈なのですが、そこで次のようなことが言われます。著作権は思想・感情の表現であり、独自の個性が出るものだしそうであることに価値がある。一方、特許権の対象は技術(発明)であり、それは美術や芸術などより没個性的で、より優れた効果・効用があるかどうかというところにその価値が集中して、それを目指して開発競争が行われる。こういった話がされた後で、次のように述べられます。

 中山信弘「マルチメディアと著作権」より

・・・そして、開発の結果行き着くところは、誰が開発しても一つあるいは少数の解に収束するという性質を有している。つまり、特許法の世界は、著作権のような個性の世界・多様性の世界ではなく、収束の世界であると言える。たとえワットが存在しなくとも人類は早晩蒸気機関を手にしたであろうし、ショックレーが存在しなくとも誰かがトランジスタを発明したであろう。それに対して、著作物は個性的なものであるので、ベートーヴェンが存在しなかったならば、われわれは永久に交響曲第九番を耳にすることはできないであろう。 P42「第1章 著作権とは」


 物のお値段というか、より限定的に情報のお値段というのは、経済学なんかではどう扱われるものなのかよくわかりませんが、著作権的なものと特許権的なものと違いがあるというのは面白いなと思いました。法律の人の話なんてものは法律の人くらいしか面白がらないものがほとんどだと思いますが、そんな中にあって奇跡的に射程の広い面白さだと個人的には思います。まあそもそもこの見解そのものが、中山先生がいなかったら我々が永久に知ることができなかったものなのか、もともと経済学あたりで言われていることなのか、その辺は知らないので、「法律の人の話」といえるのかどうかは実はわからないのですが。


 以上ですが、逆に見ればワットになれなかった誰かもたくさんいたのかも、などとも思います。そんなこんなの積み重ねが積み重なって、私などでもこうしてネットでこそこそしたりできるのだと思うと、地球に生まれてよかったと感慨深くもなります。ありがたく、こそこそさせてもらうことにして、今回はこのくらいにしておこうと思います。


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